カリーニングラード3日目
カリーニングラード3日目。明日からはほぼ移動なので実質最終日です。
まず朝はユジュニ(南)公園を通ってブランデンブルク門へ行きます。
というよりもバスが相変わらず使いこなせなかったので仕方なく公園を歩いただけなんですが。
意外と公園内も城壁が沢山残っていてこれはこれで楽しめました。
ブランデンブルク門。えっすごい車通ってるけど;;
もう一回近くでパシャ。
併設で小さいマジパン博物館があります。お土産にマジパン購入。
じゃがいもマジパンなるものがありなんだそれ・・・って買いましたがなるほどじゃがいもでマジパンでした。
今度はフリードリヒスブルク門へ。ここでは海洋系の展示博物館がありました。ここはプロイセンというよりはロシアの海軍関係の展示が多かったです。
がっつり建て直されてる
ロシア海軍のセーラー服かわいいー
この時なんのこっちゃよくわからなかったんですがクシュリュー砂州の近くにあうピラウ(今のバルチスク)の五角形要塞地図でした。7年戦争時にはロシア軍が攻め入り教会を立てて帰ったとか。時間があれば行ったら楽しそうですね。
この悪魔の城感・・・
橋を歩いていた時の写真。ここ、普通に歩けるんですけど床板がすっごいボロボロで、しかも橋の上で電車ががったんごっとん通っていくので終始手すりにつかまりながら歩いてました。ここで死ぬかと思った。
今度は地下壕(ブンカー)博物館へ。
住宅地?公園?のど真ん中にいきなりあります。
グーグル先生がいなかったら詰んでた。
1945年ドイツ軍がここでロシア軍に対し降伏し、ケーニヒスベルクの闘いと歴史が終わった訳です。
中は小さいですがパノラマが沢山あります。オーディオガイドもある。
あああ~~~やめてくれぇ~~~もったいねぇ~~~~
降伏時のラッシュ。
博物館の外に一歩出るとそこはケーニヒスベルクではなくカリーニングラード。
何度もそのギャップを感じてくらくらしました。
ここに来るドイツ人の数は年々減っているといいます。ドイツもカリーニングラードの返還は要求していない。そうやって段々とロシアとしての歴史を作り上げていくんでしょう。
ハフナーの「伝説からの解放」の最後の章で書かれていた「だれかがもういいのだ、と言わなければならない。追いやられたプロイセンの人たちが復讐も帰還も考えずドイツに順応している冷静さこそがプロイセンの美徳とも言えるだろう(要約)」という一文が大好きなんですが、まさにこの言葉こそ街の在り様を体現してるのではないかと思います。オタクの妄想ですがあらゆる場所に点在する史跡が「もう終わったことだよ」」と語りかけてくるような、そんな場所でした。
夜ホテルでだらだらしていると外で爆発音が。若者の爆竹さわぎかと思いきや教会前の橋で花火が上がっていました。全く情報がないのでどういったお祝いなのかはわかりませんでしたが(フリッツ崩御の日ですが流石に違うだろう)。だれか詳しい人教えて下さい
という訳で観光全日程終了しました。ここから約2日かけて日本へ帰還しその足でスパコミに遊びにいきました。流石に体力が限界に達し次の日から風邪をひくという残念な結果になりましたがやり遂げた感はあります。
色々と複雑な気持ちになる場所でしたが、治安も良く人も優しく、歩いて色々見れる場所なのでプロイセン好きな方ならがっつり楽しめると思います。ただ生きてるぷーちゃんには会えない。その場合はベルリンやポツダムの方に行った方がいい・・・私も行きたくなりました。これから予定している方の参考になれば幸いです。