カリーニングラード2日目
朝のホテルから見たプレーゲル川。長閑・・・
どうも気候が変わりやすい様でスコールみたいなのが降ったりやんだりしてるみたいです。
朝はどうせどこも開いてないのであの悪名高いソビエトの家に。
大概の名所は歩いていけるという事実に気付いたので散歩がてら歩いていきました。
このソビエトの家、ほんまに目立つんです。まぁ元々城のあった高台の一等地なので当たり前なんですが、もうちょっとましなデザインはなかったのかと。
凄く・・・廃墟です。風が吹くと窓と思われてたとこがめくれたりしてペラッ…これはビニールシートッ
結構近くまで歩いていけます。入っちゃだめだろうけど入りたい奴がいたら物理的には入れてしまうのでは?
朝だったせいかは分かりませんが、交通の多い市街地にもかからわずこのソビエトの家がある一体の広場には人っ子一人いませんでした。誰にも相手にされていないというべきか、誰も寄せ付けないというべきか。
昨日の大聖堂はきれいに作り直されていたので錯覚していましたが、これこそがこの街の現実だと突きつけてくるような無機質さ。
地盤が悪くて廃墟化した経緯をプロイセンの呪いと人は言ったらしいですが、そういう亡霊が本当にいるかどうかはともかく、復元された大聖堂と城を壊して新しいものを作ろうとして失敗したソビエトの家、この2つの建物がこの街のちぐはぐさを作り出している気がします。
もしこのソビエトの家が共産主義文化の象徴的な建物として予定通り完璧に作り上げられていたとしたら、この建物はこの街の新しい文化の象徴たりえたんでしょうか。
ソビエトの家周りの立ち入り禁止区間には城跡の一部と思われるレンガが・・・こ、これは・・・推しの死体だ・・・推しの・・・
色々と複雑な気分になりながら琥珀博物館へ。ロシア自体琥珀で有名?ですがカリーニングラードは世界全体の8~9割くらいの琥珀産出率を誇るらしいので、ロシアが琥珀を推せるのはカリーニングラードのおかげということ??(適当)
琥珀といえばプロイセン王がピョートル大帝にプレゼントし、エカチェリーナさんが愛した琥珀の間。それを大戦中にロシアから奪いわざわざケーニヒスベルク城まで持ち帰って爆破されて城ごと燃えるなんていう悲しいオチを先代の両王家が聞いたらどう思うんだろうか・・・。
琥珀博物館自体は歴史よりも美術品の展示が主な内容でしたが、建物はプロイセン時代の城塞を改装したものでした。
琥珀の間再現
この辺はふとしたところに城塞や城壁が沢山残ってる
湖の多い街だなぁ
その後勝利広場に向かって歩いてみるとでっかい市場がーわー楽しい!
なんか全てがでかい。ここでばあちゃんが戦後ロシア兵に貰って食べてたというひまわりの種をお土産として探すことに。しかし戦時中ならともかく、このご時世ひまわりの種なんて食べるか?と思いきや売ってた、すごい大量に。なんかもうほっとくと1キロくらい買うことになりそうだったのでパッケージ品を買って帰りました。
ところで私ロシアの国花が向日葵なのはあったかいところいいなーひまわりが沢山咲く場所いいなーぼくのところにもいっぱい咲くといいなーっていうノリで決まったのかと思ってたんですが、ロシア正教会からの禁止リストから漏れてたおかげで油や食べ物として普及したからだったんですね。てっきりお花かわいい!からだと思ってた・・・。
勝利広場。名前からしてすごい。
カリグラねこ発見
その後フリードリヒ門博物館へ。軽く言いましたが勝利広場からフリードリヒ門まで、
バスが思った通りに走ってくれなかったので結構な距離歩きでした。あとフリードリヒ門、徒歩で行くと横断歩道がなくてすんごい遠回りさせられます。
博物館の裏手。ここだけはかつてのプロイセンの光景からあまり変わってないんじゃないでしょうか。
門に立ってる石像を再建した時のエピソードっぽい。
・・・?てうかこれもしかして博物館の中??
どうも遠回りしているうちに裏門から勝手に入ってしまっていた様です(またか)。
係員にどうにか伝えるとぐるっと回って正面から入れと。遠いわ・・・
これが門の正面。残念ながら扉部分はコンクリでした。
中にはプロイセン戦前の1900年代の生活用品などが展示されています。
カリーニングラードにはこうやってかつての教会や城塞の跡地に博物館がちまちまとあるんですが、こういった類のものに関心が高い人が多いのかどこに行っても一定数の人がいるんですよね。ファンとしてちょっと嬉しくなります。
ぷーちゃん時代の新聞だぁーー普通にここがドイツの一部として「オストプロイセンニュース」なんて名前で新聞が発行されていた時代・・・
新聞の一部に、長い事あってない友人にあてた手紙とその返信が。どういうシステムか分からないですけど住所がわからなかくなった友達に伝えたいことを新聞に投書したんでしょうか。なんかロマンでは・・・?
普通に郵便局の看板だと思うんですけど皇帝郵便とは仰々しいな
これはまた布がチラ見えするパターンの騎士団さん
えっ子供用???これ完全にぷーちゃんでは?
爆撃後のケーニヒスベルク城の絵。ソ連軍が爆破するまで再建可能だったらしい。
そうこうしていると係員のおばちゃんがなにやら今から館内上映始めるぞと呼びかけを
しており、スクリーンで謎の動画が流されはじめました。かつてのプロイセンの街並みや人の様子の写真をあつめたスライド映像なんですが、これが存外にグサグサ刺さる・・・。戦争がなければ今も古く美しい町並みを残すドイツの一都市として栄えたことでしょう。約700年かけて築き上げてきた街も建物を壊し人を追放し新しい政治を埋め込めばまったく別の街として生まれ変わるのに50年かからない。この街では生きたプロイセンの文化というものは感じることはありませんでした。言ってしまえばこの街にあるのは綺麗に整えてられているか、野放しになっているかの違いはあれどプロイセンという文化の残骸、死骸でした。
ただこうして自分達とは関係がないはずの歴史をここに住む人たちが大事に保存し、一部再建までしている。それは歴史に対しての敬意なんでしょうか。自分達の文化とは全く異なる歴史を持つ地で暮らすことになった時、そうせずにはいられない何かがあるんでしょうか。
そんなことを考えているとまた涙がツーッとあふれてしまい、ただでさえ目立つ風貌なのに余計に不審人物になってしまいました。
という訳でカリーニングラード2日目終り。
記念にホテルでぷーちゃんらくがき。なんだかとてもせつない気分だったのでウェッティな雰囲気になりました。
ちなみにホテルにスパがついているので、スパってなんぞや水着着て入る温泉か?ってノリで行ったらがっつりプールとサウナでした。ロシア人基準で高さ設定されてあるので110センチ深さがありろくに泳げない私は壁に張り付いていました(ダサ)。