カリーニングラード1日目
という訳でいよいよ今回のメイン、カリーニングラードに出発です。
私の様な普領民にとって感慨深い場所です。何といっても推しのかつての首都、心臓部。今はロシア領。飛び地。
自分は出戻り人間の為、10年ずっとヘタリアを追いかけていた訳ではないですが
学生の頃はひたすらぷーちゃんの追っかけをしていました。結構痛めのガチ勢だったと思う。ベルリンやポツダムには5回は行ったしホーエンツォレルン城のお膝元に住んでた。でもカリーニングラードは行かなかった。興味はすごくあったけど、ちょっと遠かったし、ビザ取りにくかったし、ロシア語わかんなかったし、何より変わりきった街を見てがっかりしたり失望したりするのが怖かった。やっぱり高いお金払って旅行するなら楽しくなるものが見たいですし。それならポツダムやベルリンでぷーちゃんの空気を感じていた方が幸せでは?と思ったわけです。
普領の方でもカリーニングラードに行きたい派と寧ろ行きたくない派で分かれるんではないでしょうか。
ようやく出戻ってロシアへの興味が湧いて別にカリーニングラードが完全にロシア化しててもロシアを楽しめばいいじゃないかくらいの精神になれてようやく踏み出せたという感じです。カリグラにあるものに過度な期待はすまい・・・そういう前提で行きました。(どんだけ自己防衛張ってんだ)
シェレメチヴォ空港国内線ターミナル なんか閑散としている・・・
どうでもいいですが、外国で国内線を使うのってすごく旅をしてるって感じがしてとても好きです。
モスクワでも駅などで困っているとすぐに人が助けてくれて(でも大体ロシア語だし無表情)ロシア人優しいな・・・って思ってたんですが、
カリグラに踏み入れてから余計にでも優しかった。飛行機で横に座ったパツキンのショタ(天使)から飴貰いました。あまりに可愛かったので記念品として持って帰ろうかとも思ったのですが気持ち悪いなと思ってその場で食べて見せました。
み、見えてきた・・・これがバルト海・・・ぷーちゃんが駆けずり回ったオストプロイセンの地・・・!
いざ来てみると初めて来るというのにずっと見てきたものの様な、もはや懐かしい?みたいな気持ちになってきました(錯乱)。この辺りからすでにちょっとおかしかったと思います。
空港から出るとちょうど市内へのバスが。めっちゃ普通の路線バスみたいなサイズですけど笑。カリグラの交通事情はほぼ、とりあえず乗ったら係の人がお金を徴収しにくるというシステムなのである意味安心です。市内まで100ルーブル。や、やっす・・・採算とれてんのか?
もしかして看板とか色々ドイツ語併記あるかな?と淡い期待を抱いていましたが寧ろ田舎になって余計に英語表記すら減ってきていよいよ地元感が漂いだしました。
全日程通してドイツ語が通じた回数は少なかったです。ただ、これでもある程度のドイツ人観光客は今もくるのか博物館とかではたまにパゥニェメチキ?と言ってドイツ語で説明してくれる人がいました。若い人は英語率がやっぱり高かった。でも大概の人はおかまいなくロシア語で話してくる。
ホテルはカイザーホフというドイツっぽいちょっとお高めの所にしました。
最初は別の所を予約してたんですが、バスの路線がよくわからないので町の中心に拠点を置いた方がいいだろうというのと、単純にクナイプホフのすぐそばで寝れるってポイント高いなって思い変更。モスクワよりはホテル一般の料金が低いので助かります。
ちなみにバスの路線図はこれ。
https://www.newkaliningrad.ru/upload/microbus.pdf
ただし本当に路線がよくわからない。正直あんまり役にたたなかった。
人によっては使いこなせるのかもしれません。
初日は雨上がりで天気わるかったんですが・・・ドイツ風の街並みを再現したメインストリート。奥にケーニヒスベルク大聖堂が見えます。
そしてやってきたケーニヒスベルク大聖堂・・・大戦で破壊され、ドイツと共同で立て直されたこの街のシンボルです。
元々の大聖堂が建てられたのは13世紀・・・まさにドイツ騎士団の本拠地。
一日に2回ほどオルガンコンサートが催されています。てっきり小規模の教会イベントかと思ってましたが大聖堂の席が埋まるほどの動員数。チケットを買うのも結構ならびました。
しかしこの街で、この教会でオルガンの音が響くともはやぷーちゃんの魂に向けた鎮魂歌では・・・など色々なことを考えていると目からきれいな涙が・・・
とても心に響く良い音でした。隣の家族連れが席を移動したのは単純によく見える位置に行きたかったのであり隣の東洋人がいきなり泣き出して気持ち悪かったからではないことを祈る。
そんな複雑な心境で聞き入っていましたが最後に演奏されたのがおそらくウェストミンスターの鐘。つまりチャイムの音。このせいで一瞬頭が仕事の事を思い出して真っ白になり、その後ボカロの+♂(ふにさん替え歌)が脳内再生されたせいで涙がすっともどっていくのを感じました。
教会に飾られたケーニヒスベルクが輩出した偉人リスト。冷戦が終わったころからプロイセンの文化的側面を再認識する動きがドイツでも加速していったみたいですが、ここカリーニングラードでもそうなんでしょう。ナチの諸悪の根源も同然と見なされていた頃からすれば大きな変化ですよね。でも一方でプロイセンの文化的な側面ばかりをピックアップする傾向もなんとなくむず痒い感じもするんですよね。
教会内、併設のカント博物館は結構ドイツ語併記のものが多かったです。
カント博物館。カントというよりもケーニヒスベルク博物館では?って感じ。
18世紀頃のケーニヒスベルク模型。これは・・・ケーヒニスベルクの橋問題・・・
この橋を私も自分で歩いてやっぱり一回では渡れないじゃないか!ってしたかった・・・。
俺様日記保管庫・・・ではなくカントの図書館再現。いや、もう俺様日記でいいや。
袖?破ったわ。
これが本場の聖騎士様だ
な、なんかMMDでみたことあるッ
帰り道、どうも恋愛パワースポットらしく、橋にハートの形の鍵が沢山下がってました。
これはいろいろとよいネタになるのでは・・・
という訳で一日目でした。